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(平成14年11月鳥取県から寄贈された碑)
中央に梨をふたつ重ね、松戸市と鳥取県のつながりが表現されています。その左右、枝葉は、梨の実を大切に支え、包み込む生産者の手がイメージされ、二十世紀梨を育ててきた松戸市と鳥取県が、「これからも共に手を取り、すばらしい梨を生み出していこう」と言うメッセージが込められています。
また、台座にある赤のみかげ石は、二十世紀梨をはぐくんできた大地のあたたかさ。そして、黒のみかげ石には二十世紀梨の母なる地・ふるさと松戸市へ感謝の意を込めて、鳥取県が生んだ文化人の一人、尾崎翠が詠んだ「新秋名果」の一説が刻まれています。
松戸が原産の二十世紀梨も、今ではその栽培がほとんど見られなくなってしまいました。
写真は、二十世紀梨誕生の地記念碑です。
明治21年、松戸市大橋で松戸覚之助氏が発見し、「この先、右に出るような品種もなく、二十世紀を迎える将来にも、これに勝るものは現れないだろう」と当時、果樹苗木の生産販売をしていた渡瀬寅二郎、東京帝国大学池田伴親助教授が名付け、その栽培は全国に広まりました。
二十世紀梨の特徴は、他の品種にない上品な甘さとやわらかな果肉、十分な果汁に恵まれています。しかし、黒斑病に弱く栽培に手間がかかることから、松戸市内での栽培は減少しました。
現在、栽培に適している鳥取県では多く栽培されていていますが、平成7年、100年前(1904年)に松戸から渡った親木から枝が里帰り。松戸市内の数戸の園で接ぎ木され、栽培されています。
二十世紀梨は昭和10年、天然記念物に指定されましたが、原木は昭和22年に枯れてしまいました。しかし、二十世紀梨の原樹があったこと、発見者の松戸覚之助氏の偉業を後生に伝えるため、松戸市大橋に昭和40年3月記念碑が建てられ、平成14年には鳥取県から「感謝の碑」の寄贈を受け、記念碑とあわせて整備されました。